二代清水喜助とは

二代清水喜助とは、幕末から明治初期にかけて活躍し、日本橋に建った初期の洋風建築を設計・施工した大工棟梁です。1815年に生まれ、清水建設の前身である清水屋の二代目として、兜町の第一国立銀行の建物や駿河町の為替バンク三井組を手掛けました。

木の技で洋風建築に挑んだ

二代喜助の仕事は、石造建築をそのまま写すのではなく、日本の木造技術で西洋風の外観や装飾を表す「擬洋風建築」でした。代表例は、1868年(慶応4年)の築地ホテル館、1872年(明治5年)の三井組ハウス(のちの第一国立銀行の建物)、1874年(明治7年)の為替バンク三井組の三つ。

為替バンク三井組は1897年(明治30年)に解体され、建物全体は現存しません。一方で、欅にアカンサスの葉を彫った柱頭が残っています。石で表す西洋の意匠を木へ置き換えた仕事は、当時の職人が新しい様式をどう理解したかを読み取る手がかり。

日本橋トピック♪錦絵は建築の教科書にもなった?

二代喜助の擬洋風建築は東京の新名所となり、数多くの錦絵に描かれました。清水建設の資料によると、その絵は土産として各地へ運ばれただけでなく、棟梁や職人が新しい建築を学ぶ教材にもなったといいます。建物が失われても、絵が技術の広がりを支えたことが分かる一例。

二代清水喜助に関するよくある質問

二代清水喜助の作品で現存する建物はありますか?
清水建設歴史資料館は、三囲稲荷内社殿と旧渋沢邸を現存作として挙げています。日本橋に建てた為替バンク三井組などは建物全体が残っていません。
二代清水喜助が手掛けた日本橋の建物は残っていますか?
為替バンク三井組の建物は1897年に解体されましたが、欅製の柱頭が清水建設に保存されています。旧三井組ハウスも建物そのものは現存しません。

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