こんにちは、ゆっきーです。2021年も終わり、もう2022年に入りましたね。
冬も終盤となり、北京オリンピックも開幕されました。
新型コロナウイルスもまた猛威を振るっていますので、皆様も体調にはお気を付けくださいね。
さて、今回ご紹介するのは大河ドラマでも話題になったかの「渋沢栄一」についてです。
日本経済の発展に大きく尽力した彼に深く関わっているのが、ここ、「兜町」です。
「兜町」には「渋沢栄一」に関係のある屋敷や事務所があり、現在も兜町の名所として残されています。
今回は近代日本経済の父とも呼ばれる「渋沢栄一」と「兜町」の関係性についてご紹介させて頂きます。
兜町と渋沢栄一の関係について
以前、私の記事で兜町は日本経済の中心地として栄えたとお伝えしましたが、
もちろん渋沢栄一の貢献があってこそなのです。
彼は兜町に日本初の銀行となる「第一国立銀行」(現みずほ銀行)を明治6年に設立したあと、自分の屋敷も兜町に移し
日本経済の中心地とすべく、証券・金融を中心とした企業を数多く兜町に設立することとなります。
また兜町周辺ではありませんが、東京駅近くの常盤橋公園には渋沢栄一の銅像が立っています。
日本経済中心地の兜町と渋沢栄一、切っても切れない関係ということが分かります。
兜町に渋沢栄一の屋敷や事務所が?
前述の通り渋沢栄一は兜町に私邸がありましたが、一度深川(現在の江東区)に私邸を移しています。
ですが、渋沢は再度兜町に私邸を移し街の発展に尽力していきます。
上記は渋沢栄一が兜町で実際に住んでいた私邸の写真です。
洋風な建物の作りとなっていて、明治時代にも関わらず豪華ということは私たちにもすぐ伝わりますね。
もし兜町に現存するのであれば是非一度訪れてみたい!と思ったのですが
残念なことにこの建物は関東大震災で被災し、焼失してしまったとのことです。。。
こちらの写真は日証館です。
先程紹介した渋沢栄一の私邸跡地に建設され、兜町を代表する建築物としてたくさんの人に知られています。
現在では日証館の中にチョコレートのお店も併設され、経済だけでなく地域の憩いの場としても利用されています。
中には「赤石」と呼ばれる渋沢栄一が生涯大切にしたとされる縁石があります。
誰でも見学可能とのことですので一度訪れて、ご利益を得てみたいですね。
チョコレートのお店についても今後、記事を投稿していきますね。
兜町は日本で最初の株式会社が設立された地
第一国立銀行(現 みずほ銀行)は日本初の銀行という面と日本初の株式会社という面を持ち併せています。
今でこそ株式会社は一般的なものですが、明治初期はまだ株式会社は存在せず画期的なものでした。
始まりは明治4年の「新貨条例」でした。それまで「両」を通貨としてた明治政府は「円」「銭」「厘」を使用することを定め
それまで幕府や明治新政府の通貨交換業務を執り行っていた「三井組御用所」の三野村利左衛門を筆頭に変換の時期を迎えます。
高校で日本史専攻であった方はその名をよく聞いたであろう井上馨や渋沢栄一との協力、そして三井組と同じように当時の金融を
支えていた小野組の協力により「第一国立銀行」が設立されることとなります。
その後、日本初の銀行・株式会社設立を契機に東京取引証券所などが設立され、兜町は証券・金融の街としての礎を築いていくこととなるのです。
兜町と渋沢栄一について【まとめ】
皆様いかがだったでしょうか。
日本人で知らない人はいないといっても過言ではない「渋沢栄一」と「兜町」の関係性について少しは知るきっかけになれば幸いです。
近代の日本経済の中心地には、近代日本経済の父が大きく関わっており
彼の尽力のおかげで今私たちは仕事を出来ているのかもしれませんね。
日本初の銀行や株式会社、今は亡き渋沢栄一の私邸など浪漫溢れる事柄がまだまだ日本橋周辺の地域には多いと思いますので
私たち「とーんと♡日本橋」メンバー5人で今後も皆様にタメになる情報を発信していけたらと思います。
また次回の記事をお楽しみに!